2017年




ーーー6/6−−− 街中でザック


 現代では、街中でも電車の中でも、リュックサックを背負っている人をごく普通に見かける。リュックサックというと、はるか昔の呼び名で、ピンとこない人もいるかも知れない。要するに、両手を通して背中に背負う袋である。この場では、略してザックと呼ぶことにしよう。

 本来は、登山のための用具であった。それがいつの間にか、登山とは関係なく、街中で使われるようになった。自慢をするわけではないが、私はそれの草分けだと思っている。

 学生時代、山岳部に所属していた私は、ザックを背負って通学することがしばしばあった。最初は、中に重い物を入れて、トレーニングのために背負ったのだった。そのうちに、両手が自由になるこの袋に便利さを見出した。それで、街中へ出掛ける際も、ザックを背負うようになった。中身はたいしたものは無く、時にはほとんど空でも、背負って出かけた。ザックは手提げ袋と違って、心地よいフィット感がある。それも気に入った。

 その当時、街中で、あるいは電車の中で、ザックを背負っている人は、私以外には誰もいなかった。服装も靴も、およそ登山と関係ない、普通の格好をした男が、ザックを背負って国電(これも古い!)に乗っている光景は、いささか異質なものであったろう。しかしその異質だったスタイルが、現代では男女年齢を問わず、ごく当たり前のものとなっている。

 私がそのようなスタイルだったので、我が家は以前からザックをよく使った。子供たちも、小さいころからザックを背負って出掛けた。家族がそれぞれ、用途に応じたいくつかのザックを所有していた。登山用の巨大なザックから、小さなデイパックまで、我が家の中にはザックが溢れていた。一つずつ数えたら、いったいいくつになっただろうかと、今振り返って思う。

 ところで、ザックと言えば、ある種のインパクトが、わが身に染みついている。ザックを背負うと、その瞬間にまるでスイッチが入ったように、気分が高揚するのである。さすがにこの歳になると、その効果はだいぶ薄らいだが、40代くらいまでは、あきらかにそうであった。ザックを背負っただけで、たとえ登山とは関係ないシーンでも、人が変わったようにやる気がみなぎるのである。これもやはり、山岳部時代の遺産だったのであろうか。




ーーー6/13−−− その場で調理の良し悪し


 テレビ番組で見た、ある旅館。客室にしつらえた炉で朝食の味噌汁を作って出していた。作り立てを供するという方針なのだろうが、そんなことをしなくても十分に美味しい味噌汁ができるはずだと、見ていた家内と私の意見が一致した。そして家内は、作るところを見せるのが趣向なのだろうと言った。

 調理を見せることで食欲をそそらせるというやり方は、洋の東西を問わずある。しかしそれが本当に良い効果をもたらすかどうかは、ケースバイケースだと思われる。逆に作用するという例を、ずいぶん前だが経験したことがある。

 まだ高校生くらいの頃だったか、家族揃って築地の料亭で食事をしたことがあった。スキヤキやシャブシャブなどの牛肉料理で名の知られた店だった。その日はたしかシャブシャブを注文したと記憶している。

 お座敷の食卓に仲居さんがピッタリと付いて、調理の世話をしてくれた。すなわち、肉を湯にくぐらせ、小鉢に取り、各人の前に出すという作業を、仲居さんがするのである。これがどうもいけなかった。落ち着かないのである。家族水入らずで楽しみたいところなのに、仲居さんのペースでどんどん進む。あまりにも動作がきびきびしているので、会話をするのも憚られる雰囲気。各人ただ黙々と食べる様は、流れ作業を思わせた。

 「この仲居さん、居なくても良かったのに」というのが、その時の印象であった。シャブシャブの調理など、誰でも出来る。多少のコツがあるとしたら、初めに仲居さんがそれを説明し、「あとはご自由にどうぞ」と言って引き下がれば良い。そのほうがずっとくつろげるし、場の印象も良くなるだろう。脇に他人が居て、事務的に取り仕切られては、料理の味もしなくなると言うものだ。

 仲居さんのキャラクターもあるだろう。出だしに気の利いたお喋りで場を和ませ、あとは控えめに徹して存在感を消す。そして、客が何か困ったら、さりげなく手助けをする。終始笑顔で、おっとりとし、動作もゆっくりとなめらか。そういう仲居さんなら、家族の会話も弾み、楽しい会食となり、最後に寸志の一つでも置いてきたくなるものだ。

 まあ、いろいろな客が来るだろうから、それに合わせて的を得た接遇をするというのは、並大抵のことでは無いとは思うが。




ーーー6/20−−− 三角コース再び


 北アルプスの蝶ケ岳から常念岳を回る登山を、日帰りでやってきた。累積登高差2000メートル、標準コースタイム16時間ほどの、ハードな行程。登山愛好家の間でよく知られたコースで、それを日帰りでやっつけるのは、健脚を自負する登山者が好んでチャレンジしていることである。

 このコーナーで紹介したこともあるが、以前一度、2012年の7月に実行したことがある。その時は、常念岳から蝶ヶ岳へと進む左回りのルートだった。その方向だと、まず最高点である常念岳に登り、その後は標高が下がる傾向になる。朝の涼しい時間帯に厳しい登りを終えるので、どちらかと言うと心理的な負担が少ない。また、コースの後半に山小屋(蝶ヶ岳ヒュッテ)があるので、万一の場合の安心感がある。それでも、前回終了した時点では、もう二度とこのようなしないだろうと思った。

 今年は裏山登りの体力トレーニングがハイペースで進み、6月初めに50回を超えた。その効果を味わうべく、登山を考えた際に、性懲りも無く、この三角コースを思い出した。しかも、どうせなら前回と同じではつまらないと、逆回りで踏破することに決めた。

 裏山登りが実際の登山にもたらす効果については、これまでの経験である程度把握している。前回から5年経っているが、体力的には問題ないと判断した。唯一のネックは、足のつりだと思われた。ここ数年、山に登って山頂に近付くと足がつるという現象に悩まされるようになった。両足の腿がつって、一歩も歩けなくなるという事態も経験した。アップダウンの多いこのコースの途中で足がつったら、ピンチである。

 筋肉のつりを防ぐには、カリウムが含まれた食品を食べるのが良いらしい。ということで、数日前からドライバナナを食べた。また、山行当日は行動中に頻繁に昆布をかじった。そして、意図的にゆっくりと歩くことにした。ゆっくり歩くのは登山の基本であるが、普段の私は疲れない程度のペースで歩いても、けっこう速い。それで足がつるのだから、もっと遅く歩かねばならない。遅く歩けば、所要時間は長くなるが、この時期は一年でもっとも日が長いから、時間的な余裕は十分にある。

 当日は暗いうちに家を出た。三又の駐車場に車を停め、4時20分登山開始。ゆっくり登って、9時前に蝶ヶ岳の頂上に着いた。素晴らしい晴天のもと、槍穂高連峰がバーンと見えた(画像)。はたして足のつりはどうだったか? それが、全くつる気配が無かった。自分でも驚いたくらいである。それで、予定通り先へ進むことにした。

 1時過ぎに常念岳着。この時点でも、足の具合は良かった。そして前常念岳経由で下り、5時半に三又へ戻った。さしたる疲労感を感じなかったのはトレーニングの成果だろうが、足がつらなかったのは、格別な幸運に恵まれたような気がした。

 先に述べた対策の他に、このところ普段の生活で過剰な飲酒を控えるようになったことも、足つり防止に役立ったかも知れない。ともかく、全体的にとても良い健康状態で行動できた。

 今回の計画を打ち明けた時、家内は「もう歳なんだから無理な事はしないほうがいいわよ」と言った。その忠告はもっともである。若かりし頃の感覚で事に当たるのは、間違いの元であり、大きな危険を招く恐れがある。

 しかし、だからと言って、年齢を理由にちぢこまってしまうのはつまらない。少々の困難が予想されるチャレンジも、たまにはしてみたくなるのだ。そのためには、十分な準備をし、周到に計画をする必要があるわけだが、そういう配慮こそ、若かりし頃には無かった、年齢を加えた者の分別というものだろう。

 





 
ーーー6/27−−− 生活習慣は変えられる?


 「あら、入浴剤を入れたのね」と家内が言った。私は最近寝る前に風呂に入ることが多くなり、そのため家内が入った後に私が入るというパターンも生じる。翌朝家内が洗濯に使うために浴槽を覗き込み、冒頭のような発言が聞かれるのである。

 子供の頃、入浴剤というものが世に出回り始めた。親がそれを買ってきた。浴槽の湯に入れると、良い香りが湧き上がり、綺麗な色が付いた。その一方、洗面器に湯を汲んで入れると、つまり高い濃度にすると、鮮やかで毒々しい色あいになった。子供心になんだか面白く、また少し恐ろしい気がしたのを覚えている。

 こういうものは、いったん使い始めると癖になる。実際にどれほどの効果があるか分からないが、入れないと落ち着かない。今でもそうである。家に無ければ諦めるが、買い置きがあれば必ず入れる。家内は、それほどの関心は無いようである。買ってはくるが、入れない事も多い。それで上に述べたような現象が起きる。

 嗜好に関するものというのは、個人差があるものである。

 話は変わって、化学調味料。同世代の方には、「○○の素」と言ったほうがピンとくるだろうか。これも、私がまだ小さかった頃に、親が使い始めた。出回った当時は、頭が良くなるというキャッチフレーズもあったようだ。そのせいだとは思わないが、父はよく使っていた。小皿に醤油を注いだときは、必ず○○の素を振りかけた。我が家ではそれが当たり前のことになっていた。

 結婚して家庭を持った時、家内との生活習慣の違いにはいろいろ驚かされたが、化学調味料もその内の一つだった。家内は食卓で一切使わなかったのである。私がそれを指摘すると、「あんなもの入れないほうが美味しいのに」と言った。その意見に納得したわけではないが、料理を作ってくれる家内に配慮をして、化学調味料への欲求を抑えることにした。

 初めのうちは、少々辛いものがあった。味が足りないような気がしたのである。慣れるまで半年くらいかかったか。しかし、その半年が過ぎると、次第に化学調味料のことは頭から消えて行った。味が足りないという感覚は無くなったのである。逆に家内が作る料理に、素材そのものの自然な風味を感じるようになった。そして最終的には、「なんで使っていたのだろう?」という気になった。

 長年の生活習慣と言うものは、なかなか変えられるものではないが、化学調味料からは離れられた。入浴剤の方は、まだまだ足を洗えそうにないか。







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